お月様のパパへ 久しぶりに短編書きました

今朝、早起きして、久々の大人向け超短編書きました。電子書籍用です。

お時間ある方は、読んでみてください。そして、感想をいただけると嬉しいです。

 

お月様のパパへ                         森本 和子

 

 

「いってっらしゃい」

美子は、生後四ヶ月の海斗を胸に抱き、笑顔で夫を送る。

「行ってくる」

純也は、海斗の頭をいとおしげになでた。

「あなた、待って」

美子は、夫の唇に自分の唇を重ねた。

「馬鹿だな。3日後には帰ってくるのに。行ってくる。海斗を頼むよ」

夫は笑顔で出かけて行った。夫の職業は、消防隊員。出かけると、数日は、家に帰って来られない。

「パパ、行っちゃいましたね」

美子は夫を見送ると、海斗をベビーベッドに寝かせ、洗濯機を回し、掃除機をかける。いつもと何一つ変わらない日常が過ぎてゆく。

美子は、鼻歌を歌いながら、洗濯物を干している。青く晴れた空だ。

お昼すぎ、食事を済ませた美子は、テレビを見ながらコーヒーを飲んでいた。傍らでは、ベビーベッドのなかで海斗がぐっすり眠っている。

突然、激しい揺れが襲ってきた。海斗が火がついたように泣き出した。美子は海斗を抱きしめ、思わずテーブルの下に身を隠した。

その頃、純也は救急車を走らせていた。大きな津波が救急車のあとからすごいスピードで追いかけてくる。一瞬にして、救急車は津波に飲み込まれてしまった。

 

胸騒ぎを覚えた美子は、夫の携帯に電話した。夫は出ない。何度も何度も電話したが、夫は出ない。折り返しの電話も来ない。

美子は不安に苛まれながら、一睡もできずに夜があけた。

 

翌朝、ドアチャイムが鳴った。夫が帰ってきた。そう思った。美子は、ドアに走り寄った。

ところが、ドアの前に立っていたのは、夫の同僚の2人の消防士だった。

「これは、坂本さんの腕時計です」

「そんな……」

あとは、言葉にならなかった。美子は、腕時計を受け取ると、体から力が抜け、膝から崩れ折れた。美子は声を上げて泣いた。

「ママは、海斗をひとりで育てていけるのかしら。あなた、なんで私たちを置いてひとりで逝ってしまったの」

美子は、夜空の月を見上げて、つぶやいた。いっそ、この子と一緒に死んでしまおうか。そんな思いが胸をよぎった。胸の中に抱きしめていた海斗が声を上げて笑った。美子は、海斗の顔を見つめた。いつの間にか、海斗が声をたてて笑えるようになっていたのだ。

「海斗、そうだね。パパが見守ってくれているよね。ママ、海斗と一緒に頑張るね」

 

あれから、3年。美子は、結婚前の職場の病院に看護師として復帰した。海斗は3歳になり、保育園に通っている。美子の母が時折、二人の様子を見にやって来てくれる。

お風呂上がり、海斗は裸のまま、家じゅう走り回っている。おばあちゃんが、追いかける。

「海斗、はやく着ないと風邪ひくよ」

おばあちゃんが、裸の海斗を捕まえた。

「やだあ。ママがいい。ママじゃなきゃいやだ」

「海斗ったら」

美子は、思わず海斗を抱きしめた。美子の頬に涙が一つこぼれた。

「あれ、ママ、泣いているの? 僕が悪い子だから?」

「ううん、違うよ。ママには海斗がいるって、なんだかうれしくなったの。さあ、早くパジャマ着ようね」

「うん」

時折、崩れ折れそうになる美子の心を、海斗がこうして掬い上げてくれた。

「海斗、ほら、今夜は満月だよ。きれいだね。パパが、お月様からママと海斗を見守ってくれているからね」

「うん、お月様のパパだね」

 

ある夜、ぐらぐらっと揺れた。美子は、横で寝ている海斗を抱きしめた。海斗も強く芳子を抱き返した。美子は、海斗も怖いんだ、そう思った。

「ママ、ぼくがいるからだいじょうぶだよ。ぼくがママを守るから、安心してね」

海斗は、その小さな手に力を入れて、美子をぎゅっと抱きしめ、微笑んだ。

「海斗」

美子は、海斗を抱きしめずにはいられなかった。

「ママ、痛いよ」

「あっ、ごめん」

揺れは、すぐにおさまった。美子と海斗は、ベランダに出て、月を眺めた。

「パパ、ぼくはここにいるよ。ママは、ぼくが守るからね」

海斗は、お月様に向かって、小さな手を振った。