生きること自体が、人生の最大の目標。生きることは楽しい。KAKOYOGA
今日はちょっと難しい東洋哲学のおはなしです。
カルマ(業)は、過去世の行いによって、現在、どういう環境で生まれるかが決められるといいます。しかしながら、人は自分の意志と努力でカルマ(業)を転換していくことができるのです。
そりゃそうでしょう。今の自分が知らない過去世の行いで、現在の幸せが左右されるなんてとんでもないです。
九識論について
眼、耳、鼻、舌、皮膚の5つの感覚器官で得られる感覚を五識といいます。
この五識の感覚を統合して、認識したり、観念的な思考や夢などを司る心の働きを第六識といいます。心に浮かぶ物事に対する認識です。
そして、この六識の底流に「未那識(まなしき)・阿頼耶識(あらやしき)・阿摩羅識(あまらしき)」という三つの心の働きを明かしています。
第七の摩那識の摩那は、「思いはかる」という意味のサンスクリット語の音を写したものです。自身を守り維持する働きで、自我への執着を生み出します。
第八の阿羅耶識は、「蔵識」と呼ばれ、ここに過去からの「業」、すなわち善悪の全ての行いの影響が蓄積されているとされます。いわば、「善の業のエネルギー」と「悪の業のエネルギー」が合わさって収まっているのです。
東洋哲学には「空観」という考え方があります。死んでも生命は「空」の状態として厳然と続いていく。生命が宇宙に溶け込んでいる状態です。
そして、それぞれの境遇にふさわしい縁に巡り合って、個々の生命として、次の生を開始し、それぞれの過去の行いに応じて、苦しさ、楽しさを味わっていく。
業のエネルギーが果報となって現れ、現実の自身の環境を作ります。
第九識の阿摩羅識では、生命の根本であり、清浄無垢です。阿摩羅とは、「汚れのない」という意味です。金剛不壊の命をいいます。
どんな辛いことががっても、必ず乗り越えていけるのです。人生は生きる価値があるのです。
生きること、それ自体が人生の最大の目標です。
生きること、それ自体が楽しいと言える境涯になっていきましょう。
今、この瞬間を生ききることで、それは実現出来ると思います。
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